「来期からAI推進をお願いしたい」。辞令は一行でも、任された側の実態はこうです——専任ではなく兼務、部下はゼロ、予算は「必要なら相談」、ミッションは「いい感じに全社で使えるように」。

この記事は、その状況に置かれた一人目の推進担当の方向けに、最初の90日の動き方を書いたものです。先に最も重要なことを言います。90日で全社を変えることはできません。90日でやるべきは、「変えられる体制と根拠」を作ることです。 焦って全社施策(ツール一斉配布、全員研修)から始めた推進担当が数か月後にどうなるかは、生成AIを導入したのに社内で使われない――定着しない5つの原因と対処の順番で書いた通りです。

任命されたばかりの方へ。自社の現在地をまず30秒で判定する →

90日の全体設計

  1. 1第1月:期待値と現状の把握
  2. 2第2月:小さな成果を1つ作る
  3. 3第3月:体制と計画にして経営に返す

順番の意図は明確で、成果(第2月)を挟んでから計画(第3月)を出すことです。着任直後に立派な全社計画を出しても、実績ゼロの計画は査定できず、承認も本気になりません。小さくても実物の成果を添えた計画は、まったく違う扱いを受けます。

もう一つの意図は、自分の理解を先に作ることです。現場で1件動かしてみないと、何が難しくて何が簡単かの感覚が持てません。感覚のないまま作った計画は、実行段階で必ず破綻します。

90日で「やらない」と決めること

先に封印リストを示します。任命直後にこれらから始めた推進担当は、高確率で3か月後に消耗しています。

やりがちなことなぜ避けるか
全社へのツール一斉配布使いどころの翻訳を全社員に丸投げする構造。使われないまま費用だけ出る
全社員向けの一斉研修語れる事例がない段階での研修は一般論になり、「意味なかった」の記憶が残る
完璧なガイドラインの作成数か月かかり、その間に管理外の利用が広がる
他社事例の収集自社の工程リストがない状態で読むと、自社に存在しない業務に振り回される
高度なユースケースの追求最初の成功体験に必要なのは感動ではなく、全員が再現できることです

この5つは「いつかやること」であって「今やること」ではありません。 90日はもっと地味な作業に使います。

第1月:期待値のすり合わせと現状把握

最初にやるべきは施策ではなく、任命した経営側との期待値のすり合わせです。確認することは3つだけです。

  • 何がどうなったら成功か——「全社でAIが使える」の解像度を上げる。コスト削減なのか、特定業務の変革なのか、まず社内の空気を変えることなのか
  • 使える資源——自分の稼働の何割を使ってよいか(兼務なら必ず数字で合意する)、初期予算の目安、他部門への協力要請を経営名義で出せるか
  • 報告の形——誰に、どの頻度で、何を報告するか。ここを決めておくと、第3月の計画提出が自然な流れになります

このすり合わせは自分を守る作業でもあります。期待値が曖昧なままだと、半年後に「思ったより進んでいない」という主観的な評価と戦うことになります。

並行して現状把握です。ツールの契約状況、ガイドラインの有無、そしてすでに個人的に使いこなしている社員(先行者)が誰かを把握します。先行者は今後のすべての施策——ユースケースの種、パイロットの推進力、将来の講師役——の資源であり、第1月で見つけておく価値が最も高い情報です。

現状把握で集める5つの情報

現状把握は網羅的な調査ではなく、次の判断に必要な情報だけを集めます。1〜2週間で終わらせてください。

集めるもの具体的にどう使うか
ツールの契約状況何が、どの契約形態で、何名分あるか環境整備が要るかの判断
利用状況アクティブ率・部門別の偏り原因の当たりを付ける
ルールの有無入力してよい情報の範囲が示されているか第2月に試せるかの前提
先行者すでに使いこなしている社員は誰かパイロットの推進力・将来の講師役
過去の失敗以前AI・DXで何をやり、何が起きたか同じ轍を踏まない/社内の警戒の理由

5つ目を必ず聞いてください。 「前にもやって失敗した」という記憶が社内にある場合、それを知らずに似た施策を出すと、内容の是非以前に拒否されます。過去の失敗を把握している推進担当は、それだけで信頼されます。

先行者の見つけ方

  • 部門長に「AIを業務で使っている人はいますか」と聞く
  • 情シスにツールの利用ログを確認してもらう
  • 社内チャットで「使っている人いますか」と募集をかける

3つ目が意外に効きます。手を挙げる人は、教える側に回る意思がある人でもあるからです。

期待値すり合わせを書面にする

3点の確認は、口頭で終わらせずA4半ページの書面にしてください。形式は問いません。

・成功の定義:(例)◯部門の◯業務で、AI利用が週次で回っている状態 ・使える稼働:推進担当の業務時間の◯%、初期予算◯万円まで ・報告:毎月◯日に◯◯へ、A4 1枚で

書面にすると、経営側も曖昧なままにできなくなります。そして半年後に評価を受けるとき、この1枚が基準になります。曖昧なミッションのまま進むと、主観的な評価と戦うことになります。

味方を1人作る

制度の話とは別に、90日を乗り切るうえで効くのが社内に相談相手を1人作ることです。

推進担当は組織図上どこにも属さない仕事になりがちで、うまくいかないときに相談できる相手がいません。情シスでも人事でも、パイロット部門の部門長でも構いません。「この施策の背景を知っていて、一緒に考えてくれる人」が1人いるかどうかで、持続性が変わります。

社外に相談先を持つのも有効です。同じ立場の推進担当と話す機会は、自社の状況を相対化する材料になります。

第2月:小さな成果を1つ作る

全社を見渡すのをやめ、1部門・2〜3工程に絞って実際の成果を作ります。部門の選び方は生成AIの社内展開の進め方、工程の見つけ方と絞り方は生成AIのユースケースの見つけ方で詳しく解説しているので、ここでは推進担当の立場に固有の注意だけ述べます。

パイロットの進め方(4週間)

第2月の中身を週単位で示します。

やること
1週目部門を決め、先行者と業務棚卸し。工程を2〜3個に絞る
2週目1工程の指示文の型を作る。ビフォーの数字を記録する
3週目型を2〜3人に配り、実務で使ってもらう。詰まった箇所を型に反映
4週目アフターの数字を取り、記録にまとめる

2週目のビフォー記録を飛ばさないでください。 ここを飛ばすと、第3月に「で、どれくらい良くなったのか」と聞かれて答えられません。所要時間・件数・手戻りの回数を、粗くてよいので数字で残します。

第2月の成果物3点

この月の成果物は3点です。動いたユースケース(2〜3個)、再現可能な型(プロンプト・手順)、そしてビフォーアフターの記録。記録の取り方はAI活用の効果測定のやり方の通りで、導入前の状態を数字でメモしておくことを忘れないでください。第3月の計画の説得力は、ほぼこの記録で決まります。

第2月にやらないこと

推進担当が最初の3か月で消耗する原因は、たいてい「やらないことを決めていない」ことにあります。第2月は次を封印してください。

  • 全社アンケートの実施——集計に時間がかかるわりに、次の判断が変わりません
  • ツールの比較検討のやり直し——既に契約があるなら、それで試してください
  • 完璧なガイドラインの作成——第3月に計画として出せば十分です
  • 他部門からの相談を全部受ける——「今は◯部門に集中している」と断って構いません
  • 社内勉強会の定期開催——型ができる前の勉強会は、雑談で終わります

断ることは、第2月の成果を守るための業務です。 断りにくい場合は、経営との期待値すり合わせ(第1月)で決めた「今期は1部門に集中する」という合意を根拠にしてください。

第3月:体制と計画にして経営に返す

成果と記録が揃ったら、それを根拠に次の90日〜半年の計画を経営に提案します。計画に入れるべき要素は次の通りです。

経営への提案に入れる要素
  • パイロットの成果(ビフォーアフターの実数)
  • 次に展開する部門と、その選定理由
  • 必要な資源:部門推進役の任命、業務時間の確保、教育予算
  • ルール整備の計画(ガイドラインの制定・改定)
  • 効果の報告サイクル

この段階で初めて、教育・研修の話が予算として具体化します。パイロットの型を教材に部門推進役を育てるのか、外部研修を使うのか、組み合わせるのか——判断材料は揃っているはずです。研修を使う場合は助成金の計画届の期限(訓練開始1か月前)から逆算が必要になるため(制度の詳細はAI研修に使える助成金まとめ【2026年版】を参照)、計画にはスケジュールも含めてください。

そしてもう一つ、計画には推進体制の複数化を必ず入れてください。一人目の推進担当の最大のリスクは施策の失敗ではなく、孤立と過負荷です。部門推進役という「仲間」を公式に作ることは、施策のためであると同時に、あなた自身の持続可能性のためです。

提案が通らなかった場合

第3月の提案が通らないこともあります。その場合、原因は3つに分かれます。

  • 成果が小さいと言われた——規模の問題ではなく、記録の問題であることが多い。ビフォーの数字が曖昧だと、成果も曖昧に見えます
  • 時期尚早と言われた——判断材料が足りていない。次の1部門でもう1件作り、2件のパターンとして再提案するのが早道です
  • 予算が出ないと言われた——助成金の試算を添えていない可能性があります。要件を満たす研修なら経費の最大75%が対象になり得ます

通らなくても、パイロットの成果と型は残ります。 ここが第2月を先に置く設計の効いてくるところで、計画が却下されても現場の改善は残り、次の提案の材料が積み上がります。

動画で見る:プロンプトを社内で回す仕組み(無料AI講座) →

計画に入れる数字

経営に返す計画では、次の3つの数字を必ず入れてください。曖昧にすると、承認されても後で削られます。

数字
推進担当の稼働自分の業務時間の◯%(兼務なら必ず明示)
部門推進役の人数と稼働◯部門×◯名、各◯%
教育予算とスケジュール◯万円、実施は◯月(助成金を使うなら計画届の期限から逆算)

2つ目が最も落ちやすい項目です。 部門推進役を「任命する」だけで稼働を確保しないと、名前だけの役職になります。

計画に載せる打ち手を決める前に。自社の現在地を30秒で確認する →

90日を終えた後に待っていること

3か月で体制と計画が動き出しても、そこからが本番です。よくある展開を先に知っておくと、動揺せずに済みます。

相談が集中し始める

計画が承認されると、各部門から「うちでも使いたい」という相談が来ます。ここで全部を自分で受けると、推進担当が問い合わせ窓口になり、設計する時間が消えます。部門推進役に一次対応を渡す設計を、相談が増える前に用意してください。

「もっと大きなことをやれ」と言われる

小さな成果を出すと、次に「それで全社はいつ変わるのか」という圧力が来ます。ここで範囲を一気に広げると、型もフォローも薄まって失速します。

返し方は、段階と期間を示すことです。「次の3か月で2部門、その次で4部門」という積み上げの計画があれば、焦りは共有できても手順は守れます。

温度差が可視化される

前向きな部門と、そうでない部門の差がはっきりします。進まない部門を説得することに時間を使わないでください。進む部門で事例を増やすほうが、結果的に全体が動きます。

成果を疑われる場面が来る

「本当に効果が出ているのか」という問いは必ず来ます。ここで効くのが第2月から取り続けている記録です。測っていない施策は、半年後に必ず説明を求められます。

自分の評価をどう守るか

最後に実務的な話をします。推進担当の仕事は成果が出るまでに時間がかかり、その間の評価が曖昧になりがちです。

第1月に合意した「成功の定義」と「報告の形」を、評価の対象としても使えるように書面に残しておいてください。「全社でAIが使えるように」という曖昧なミッションのまま半年経つと、主観的な評価と戦うことになります。

そして、報告は約束した頻度で必ず出してください。数字が芳しくない月でも出すことに意味があります。進捗が見えている担当者は、成果が遅れても信頼されます。